11月から約半年続いているドイツのロックダウン。ずっと家にこもっているのは簡単じゃありませんでしたが、こんなに長い間自分と向き合う期間があったのはありがたい事なのかもしれない、そう思えるようになってきました。
それは今、自分の自己肯定感が上がり、自分の人生を楽しめているから。
1週間前だったら、こんなポジティブな感情は持てませんでした。
では一体どうやって落ち込んでいる状況から一気に自己肯定感をあげたのか?
みんながみんなに当てはまるわけではないと思いますが、自分なりに色々経験を踏まえて、まとめてみました。
自己肯定感を高めるにあたって必要だった事
自己肯定感ってそう簡単に高まるものじゃないし、本を読んだり、ネットで調べたりしましたがイマイチピンと来ない。どうやったら自己肯定感が高まるんだろう。ずっと自分なりにもがいてきました。
でもそれは頭ごなしに「自己肯定感を高めなきゃ!」と必死になっていただけで、まず自己肯定感を高めるために必要な思考を持っていなかったという事に気がつきました。
それは自分で意識したわけではなく、ある行動がキッカケで自然と自己肯定感を高める事に繋がり、結果、自己肯定感が高まった、というサイクル。
では、そのある行動とは何を示すのか?
本当に自分がやりたい事を知った事によって見えてきた「自分」
それは以前の記事にも書いたあの出来事が大きく関係していました。
自分を知るという事は簡単なようで簡単な事ではありません。きっとたくさんの人が自分を知ったつもりでいるだけで、本当は自分が何を望んでいるのか知らない・あるいは気付かないフリをしているのかもしれません。
以前のタイのように、「本当にやりたい事はあるけど、現実的でお金を稼げる事でなければいけない」そう思い込んでいる人もいるんじゃないでしょうか。
でも大切なのは、何をしているかではなく、「自分のやりたい事が分かっている」という事。
「仕事が自分のやりたい事じゃないからダメ」なのではなく、「仕事は〇〇だけど、本当に好きな事は〇〇」という自分の気持ちを知っている、という事が大切なんです。
生きていくために仕事をしてお金を稼がなければならない事は現実。でも「自分の中にあるハッピーな事や情熱を注げる何かを持っていて、それが何か分かっている事」がポイントになってきます。
勘違いしないで欲しいのが、今すぐその仕事を辞めて、夢を追いかけるべき!と言ってるわけではありません。それは現実的ではないですし、夢を追いかけて破産してしまったら元も子もないですからね。
それに自分のやりたい事の情熱を仕事に注ぐ必要はないんです。例えば、趣味が好きすぎるあまり、趣味を続けやすい仕事に就いた。というのも全然アリ。大事なのは自分が夢中になれる何かを知っていて、それを夢中になって取り組める自分がいるという点。
些細な事のように思うかもしれませんが、今のタイにとって自分が本当にやりたい事を見つけた事は、人生で自分を知る大きなきっかけになりました。
「自分を知る」と自分を大切にする方法が自然に見えてくる
自己肯定感を上げる上で自分を大切にする事が大切!というのを腐る程色んな場所で読みましたが、じゃあ一体自分を大切にするってどういう事?って話ですよね。
でもそれは実はシンプルで、自分で自分を知るようになると「自分は何をしたらハッピーなのか」「何が自分をアンハッピーにするのか」が自然に見えてきます。すると自分の気持ちに沿う事が出来るようになります。
自分をアンハッピーにする事が分かると「そうか、私はこれが辛いんだ」と認識するようになり、自分のその気持ちを大切にするようにして下さい。自分を責めるのではなく、自分のその気持ちを受け止めるんです。
例えば、タイは大人数のパーティーが苦手で、でもワーキングホリデーで海外にいるとどうしても友だちとの付き合い上、しぶしぶ参加してきた事が何度かありました。
でもオーストラリア人の友だちの誕生日会に呼ばれた時、知り合いが全くいない状況で、オーストラリア人同士は知り合いでつるんでいて、完全にアウェーになってしまう場面がありました。
「元々大人数のパーティーは好きじゃないし、来たくなかったところをわざわざ来たのに・・・」
タイはこのパーティーに来た事を後悔し、すごく嫌だった思い出があります。
でも今思えば、自分の本当の気持ちを大切にしていなかったんです。この時の自分は「パーティーが好きじゃない」自分を押し殺して、「誘ってくれた友だちに申し訳ないから」とパーティーに参加しました。
そしてタイがアウェーだった状況にも関わらず、それに気が付かず楽しんでいた主催者の友だちに怒りの感情すらあったんです。
その理由は、パーティーに参加を決めた理由が「自分が参加したいと感じたから」ではなく、「誘ってくれた友だちに悪いから=友だちのため」だったからです。
もしその時「自分が行きたくないと感じている」思いを尊重していたら、「嫌な思いをするくらいなら参加しない」という自分の気持ちに沿った選択が出来ていたと思います。そして自分の時間を無駄にする事なく、その友だちへの怒りもなかったでしょう。
でも自分がアンハッピーな事を知る事で、自分でその状況や物事を避けようとするはずです。そしてその避けようとする自分を「逃げてる」と非難するのではなく、「嫌だと感じるんだから仕方ない。じゃあこっちのやり方で試してみよう」と別の回路を見つけられるかもしれません。
「自分が嫌だと感じる事はやらなくていい」と言ってるわけではありません。特に勉強や仕事をする上では「やりたくない」と感じる事も多いと思います。
でもそういう事ではなくて、自分の気持ちに沿う事が出来るようになってくると、自分の思考が少しづつ変わるのが分かるはず。
今まで自分ではなく、誰かに合わせてばっかりで自分の気持ちに沿っていなかった事に気がつき、もっと自分の心の声を聞いてあげようと思えるはずです。
「自分のやりたい事」や「自分の好きな事」を通して本来の自分が見えてくると、自然に自分の気持ちに沿った行動が出来るようになり、そういうプロセスが自分を大切にするという事に繋がります。
自己肯定感が高まると全てが上手くいく!
自己肯定感が低いという事は、自分の存在の価値を自分で認めていないという事。だから「自分」ではなく「誰か」を大切にし、それを返してもらう事で「自分は価値のある人間なんだ」と思い込む事で自己顕示欲を満たしているだけなんです。
しかし自分を大切にし始めると、今まで「誰かに認めてもらっていた自分」から解放され、自分自身で「自分は価値がある人間だ」と感じる事が出来てきます。
「誰かに認めてもらわなくても大丈夫な自分」が出来上がってくると、不思議な事に、今まで必死に誰かにすがったり、依存していた自分が嘘のように感じ、自立に繋がります。
自分に対する価値観が変わると以下の事にまで影響が出てきたのが目に見えて変化していきました。
もう些細な事で怒らない?自己肯定感とアンガーマネジメントの関係性。
タイが長年抱えてきた自分の1番大きなコンプレックスである怒りの感情。幼い頃から怒りっぽく、些細な事で腹を立てては友だちに嫌な思いをさせたり、トラブルになった事もしばしば。
自分でもダメなことは重々分かっていましたが、怒りが爆発した時に自分を見失い、人に迷惑をかける。のちに自分1人になった時に罪悪感で自分自身を責め、そんな自分が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
しかしそんな自分にとうとう疲れ、どうにかしないと周りだけでなく自分自身も怒りの感情によって不幸になるという事に気が付き、自分の為に怒りをコントロール出来るようになりたい、と思うようになりました。
その時にアンガーマネジメントと出会い、コツコツ続けて今に至ります。今ではそのプロセスは「自分を知る」事に大きく影響していて、自分がどういう事で怒りを感じるのか、自分の怒りのポイントは何なのか。怒りの裏側にある、自分の気持ちを知る事で見えた本当の自分。を知る事によってアンガー(怒り)コントロール(抑制)をする、というもの。
本来は自分で自分の存在を肯定するはずなのに、タイはずっと「自分」の存在を肯定してくれる「誰か」を探し、勝手に期待してはその「誰か」がタイが思った通りに行動してくれない事によって怒りの感を作り上げていたんです。
もちろん他人は自分の事が第一なのでこちらの思ったように行動はしてくれません。それを分かっているはずなのに、知らず知らずのうちに勝手に相手に期待して、勝手に期待を裏切られたと思い、傷つき、それが怒りに変わるという負のサイクルを生み出していました。
要は「相手に勝手に期待する自分」が居る事が原因だったんですね。
でもこの事に気が付いてから、タイの考えが変わりました。
「自分が中心なのはみんな同じ。」自分にとって誰かが中心じゃないのと同じで、他人も他人の優先順位がある事を忘れずにいれば、 自然と「相手に過度に期待する事」をしなくなり、何かが起こった時も「仕方ないか」と諦めがつく。
その思考が出来るようになると、自然に怒りの感情を生み出す機会が減り、あんなに怒りっぽかった自分がウソのように変わりました。
イラっとしてしまうと大声で怒鳴ったり、我を忘れて何かを破壊したり。そのレベルだった人間が今では怒りモードになったとしても冷静に相手の話を聞くレベルにまで成長しましたからね。
もう相手に振り回される恋愛は終わり!自己肯定感が高まると恋愛にも影響があった。
恋愛と自己肯定感は特に大きく繋がっていると思います。恋愛は相手あっての事なので、のめり込みやすく、時には周りが見えなくなる事も。
特に恋愛の始まりなんて、ずっと相手のことを考えてしまったり、LINEの返事が来る・来ないで一憂一気したり。確かにそれが楽しさでもあるんですけど、ある日ふと、もう自分を見失うのは嫌だなって。
そんな自分の姿に気が付いた時、「しんどいわ」って。
自分でも自分の事をこんなにしんどいのに、相手はもっとしんどいに決まってる。そう感じ、相手との距離の取り方が分からなくなる自分の弱点を発見しました。
今までどうやったら恋愛に振り回されないようになるんだろうと考えていましたが、自己肯定感が上がると、自然に孤独感を感じにくくなり、相手に認定してもらわなくても平気になります。
今までだったら「恋人に大事にされている自分」に重きを置いていましたが、今では自分を大事に出来るのは自分以上にいないと思っているので、自分が1番自分の理解者になってあげなくては、と思うようにまで変わりました。
自己肯定感を高めようと必死になってやった結果、失敗した例。
自己肯定感が低いせいで生きる事が辛いシーンが多々ありました。その度に何とかしなくてはと思い、ネットで調べてどうにか自分を変えようと苦しんできました。
特に自己肯定感を上げるヒントになるかもしれないと思い、そういう系の映画は進んで観るようにしていました。
でも映画は所詮映画。似たような始まりでも、結局はハッピーエンドで主人公はハッピーで終わる。でも実際の人生はそうじゃありません。
何度も何度も同じようなことが起き、その度に堂々巡り。「辛いことの後にはきっと良いことが待っているはず、と思って乗り越えてみるけれど、次にやってきたのはもっと辛いことだった」なんてこと、何度起こったか。
でもそれは、間違ったやり方でとりあえず必死になっていただけなんです。
とにかく自分を忙しくして、考える暇をなくした
根本的な問題を見直すのではなく、とにかく考えることを避けるために予定を詰め込みまくって自分を忙しくしていました。自分を忙しくする事で自分が充実しているような気がして、孤独感を感じずに済んだからです。
自己肯定感が低いと孤独感をより一層感じるようになり、とにかく予定を埋めたい、誰かに会っていたい。それで孤独を埋めようとしていた自分がいました。
でも根本的な自分の考えが変わったわけではないので、自分を忙しくする為に人に依存したり、何かをして気を紛らわせたり。キチンと自分の孤独感と向き合うことをしないと、誰かと会っている時のみ孤独感を紛らわせても、結局はずっと孤独なままでした。
本当の自分を知れば孤独感を感じづらくなるはず。
Thank u,next!失恋を忘れるには新しい恋しかない!
これは本当に良くない例の1つ。よく「失恋を忘れる為には次に進むしかない」と言いますが、自己肯定感が低い人がむやみにそれをしてしまうと恋人がいないと不安で仕方がないという状況を作り上げてしまう原因になります。
失恋は辛いもので、直後は孤独感がより一層強くなりますが、終わってしまった恋には何らかの原因があるはず。もちろんあなたの非だけではなく、相手が悪いケースもたくさんあると思います。
しかし恋愛は一方通行ではなくお互い様。きっとどちらにも非が少しづつあって、お別れをする選択をしたはず。
しかし大事なのはその後。恋が終わってしまった後は、少し自分と向き合う期間を設けてあげないとまた同じ事を繰り返してしまう可能性大。
タイは前の恋が終わりを告げてから1年半が経ちますが、自分と向き合わず、自分が根本的に変わっていなかったので、次に進んでも自然と上手くはいきませんでした。
彼と別れてから、早く次に行って忘れたい、幸せになりたいと思っていましたが、今は自分を知った事で「自分はまだ次に行く準備が出来ていない」という事に気が付きました。
自分を知るようになるとここまで変わるんですよ。
いつもすぐ次の恋に進んでしまう人は、シングルの期間を利用して自分を知ってみるのも自己肯定感を高める第一歩に繋がりますよ。
自己肯定感を高めた女のまとめ
- 自己肯定感を上げる為に必要だった事は思考を持つことから
- 自分のやりたい事、好きなことを知って自分を知る
- 自分を知ると自分の気持ちに沿うようになる
- 自己肯定感が高まると怒りの感情も起こりにくくなる
- 恋愛で振り回されないようになる
タイが長年苦しんできた自分の自己肯定感の低さ。このコロナのロックダウンをきっかけに起こった出来事は最初は辛く、もうダメかもしれないとまで感じましたが、今思えばきっと宇宙がタイに自分を気付かせるために起こした出来事なんだ、と感謝すらするようになりました。
自己肯定感とはすぐに上がるわけではありませんが、1度負のスパイラルから抜け出すと、見える世界が違ってきます。
あんなに嫌いだった自分が、今では「まぁ自分も悪くないかな」とまで思えるようになったので、きっと皆さんも大丈夫。タイは自負ともに認める、超ネガティブ思考でしたから。
まずは自分と向き合う時間をたっぷりとってあげて下さい。自分の事を1番優先してくれるのは、誰でもなくあなた自身ですから。
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